昭和五十六年十月二十九日 朝の御理解
御理解第五十節
兎角信心は地を肥やせ常平常からの信心が肝要ぢゃ
地が肥えて居れば肥をせいでもひとりでに物が出来るやうなもの ぞ
昨日ビリグイの公子先生がお母さん宛に手紙を出しておる手紙をここへ持ってみえてまあ読んでもらい長い長い手紙を書いておりましたが、なかなか人が助かるという事は大変な大変な事だと思います。
まあいろいろとまあ母親に出す手紙ですから赤裸々にいろんなことがいっぱい書いてあってございましたが、御信者の中にもう一から十までこう逆らうというか、もう本当に表面はこう教会思いのようにもとれるかと思うとその裏でいろんな工作したりして、もうどんなに思うても腹に据えかねるという事情がづうっと書いてございましたが、なるほど普通から云うならばもうそれこそ大変な喧嘩にもなりかねないような事情がやっぱあるらしいこれは人間関係だけの事ではない経済の問題においても又は、この頃からは一番下の子供が、もういよいよあのう教会からお葬式をださなければならんだろうかと思うようにひどい病気を致しましたり、まあ一生懸命の修業の模様が愚痴とも不足とも分からんような表現でこれは母親にですから赤裸々に、だから、こんな事申し上げ、云いよったら親先生にお叱り頂くと思うけれどもといったような事を書きながら書いておるんですよ。
それをあのう先生に、いうなら末永先生にお話をすると先生が云うことがね「お前が一人で腹かいてくれるから私がひとっつも腹かかんですむ」と云われますという事が書いてあります。すばらしいですね。もう構えが出来ているんです。
例えどういう事があってもそれを自分の心を豊かにする云うならば修業として肥料としてね、お前がしっかり腹かいてくれるけんで私は腹立てんですむとこう云う。やっぱ先生のような気持ちになりぁよかろうけれども、やっぱ人間心を使うてこうこうとこういうわけなんですけれども、問題は構えですね。もうそういう腹に据えかねるという程しの事ほどに私はすばらしい豊かさが生まれてくる。それこそ一人でに物が出けるような元をいよいよ頂いている時ですから本当の事が分かって本当にその一ついよいよねおかげを頂こうぢゃなくて、心を豊かに大きく一人でに物が出ける事の為に出来るだけ云うなら肥料になるそれをもう受けて受けて受けぬこうとまあ云うならば本気で土の心に徹するという事と、腹を決める事です。
昨日も竹葉会で皆が発表されるのを聞いておってまあやっとかっとじゃああるけれどもまあ辛抱していきよんなさるような話でしたけれども、やはり本当に構えを作っとかんと、結構な修業さしてもろうて有難いとか、本当に はあこんなにして心は肥えていくもんだなあ力を受けていくんだなあと分からんとねそれがやっぱり辛い苦しい事になります。
兎角信心は地を肥やせとこう仰せられます。ね、いよいよ心を豊かに、なら豊かになろう大きくなろうと云うただけじゃ絶対ならんです。ね、大きくする手立て、豊かにする手立てがねもう神様のまあ働きの中にあるのだけれども、いわゆる自然との対決においてです いつも負けを取るような事ではねいつまでたっても信心はしとりますおかげは頂いとりましても一人でに物が出けるようなおかげにはなって来ないと思うですね。
昨日、初めて竹葉会に参加したという吉井の馬田さんの奥さんが一緒に参加しておりましたが、もう兎に角もうどれだけお話しても話したらないようなおかげを受け取りますという話をしております。それは、信心のない主人が合楽に御縁を頂きだしてからもう兎に角合楽に傾倒してしまった。そしてこりぁ、俺達が助かるだけじぁない御先祖も一緒に助かってもらわんならんと云うので、先達てから改式のお祭りがございました。もうそれからこっちというものは、もう本当にもうまあ兎に角まあ馬田さんの言葉を借りると、いくら頂いとるおかげを話しても書きませんけれどもあんまりお話が長ごうなりますからというてから止めましたがね、これなんかは、本当にはやり根を、先祖が云うならば家の根と云われますから、家の根がやせ細っておったのが肥えてきたんですね。それでぞっくりおかげの芽がこう出だしたというような感じなんです。根を、先祖を大切にしておるというだけではなくて私共が金光様の御信心によってこうやって日々自分の心が助かりね、それこそ楽しゆう嬉しゆう信心の稽古が出けておるのですから、霊様もまた合楽理念に基づいて助かって下さったらすばらしい助かりになるだろう、そこから改式という事。これは合楽に傾倒したという印でもありますから、やっぱおかげを受けるのですね
あの世この世を通してのおかげ、いうならばその家の根が肥えてくる。兎に角信心は根を肥やせであるね。根が肥えてくる豊かになってくる。同時に私共の心そのものがいよいよ豊かになってくる。ただ信心しよりぁいつのまにか豊かになると云ったようなもんじぁない。それこそ末永先生ぢあないけれども、もう構えを作っとくのです。ね、ですからそれを有難く受けていくことが出ける。
そのようにして、私は根を肥やせとおっしゃる根をこやしていくという事は、やはり本当の事が先ず分かって結局はまらなゃ出けません。構えをつくらなければ出けません。いちいち顔色を変えるような事、これ、普通で云うならば腹に据えかねると云うことぢゃないですけれども、まあどうした分からん事を云うたりしたりする人ぢゃろかといったような事が昨日あったんです。こりあ大きな意味で教会の上に、けれどもそれの方が合楽教会としてはおかげ頂くからそう神様がしておられるのだから、と思いますからね。それがかえってお礼が申し上げられるような心の状態にならせて頂いたんですけれどもね。
だから本当に構えを作っておくと、神様はその氏子可愛ゆいの一念、氏子によりよいおかげを下さろうとするお働き以外にない事がね 一つ体験さして頂けるとですねもう一切をいうならば根肥やしにしていく事が出けるいやが上にも一人でに物が出けるようなおかげにもつながってくると云うわけであります。
心を肥やすという事、御先祖にも助かってもらう。御先祖にも豊かな霊の生活をしてもらえる為にもね、それこそ馬田さんぢゃないですけれども、もうそこを境のようにして家中のおかげになって来ておる。そりあもう本当におかげ話を聞かして貰うと、もう確かにおかげ頂いとると云わずに居れないおかげをやっぱ感じておる、頂いておるですね。どうぞ一つ霊前ともに一つ助かっていかなきゃなりませんね。 どうぞ